パイロット最後の切り札。マーチン・ベイカー射出座席が7777の命を守り抜いたその歴史
・マーチン・ベイカー社製射出座席の生還者が7777名に
・射出座席市場で圧倒的な世界シェア
・悲劇的事故がきっかけとなったマーチン・ベイカー社の事業
・果敢な「人体実験」による射出試験
航空史に燦然と輝くマーチン・ベイカー社(Martin-Baker)は、戦闘機パイロットの命を守る最後の砦として知られます。その象徴とも言えるのが、同社製の「射出座席」です。2025年2月17日、マーチン・ベイカー社は、同社製射出座席による生還者が累計7777名に達したと発表しました。
この記念すべき機体は(墜落事故は名誉とは言えないかもしれませんが)台湾空軍のAT-5でした。AT-5は「経国」をベースとした高等ジェット練習機です。7777というこの数は、単なる統計の一つにとどまりません。それは、同社が76年の歳月をかけて積み重ねてきたパイロット救命の歴史を物語るものです。
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76年に及ぶ救命の軌跡
マーチン・ベイカー社が戦闘機向けの射出座席を実用化したのは、第二次世界大戦後の1949年5月30日のことでした。その最初の非試験的な脱出から現在に至るまで、同社の座席は数多くのパイロットを死の淵から救い出してきました。
この間、マーチン・ベイカーの射出座席を搭載した戦闘機は、世界中の空軍・海軍で採用され、その数は数万機にのぼります。現在の主力戦闘機としては、F/A-18、ユーロファイター・タイフーン、ラファール、F-35、一部のF-15やF-16といった西側の主要機種のほぼすべてが同社の座席を採用しています。
この驚異的な実績の背景には、徹底した技術革新と品質管理があります。マーチン・ベイカーは、単なる「脱出装置」としての機能だけではなく、極限状態においても確実に作動し、パイロットの生存率を最大限に高めることを使命としています。そのために、座席の開発には精緻なシミュレーション、厳格な試験、そして継続的な改良が不可欠となっています。
マーチン・ベイカー誕生の背景

マーチン・ベイカーMB3とバレンタイン・ベイカー
マーチン・ベイカー社の名は、創業者であるジェームズ・マーチン(James Martin)とバレンタイン・ベイカー(Valentine Baker)の二人に由来します。ジェームズ・マーチンはエンジニアであり、航空機設計者としてのキャリアを積んでいました。一方のバレンタイン・ベイカーは、熟練したテストパイロットであり、その飛行技術は高く評価されていました。
しかし、1942年に悲劇が起こります。